ケガ
人間、生きていれば大なり小なりケガをする。
数日で治るものもあれば、数ヶ月や数年かかるものもある。
後遺症が残ることもあるし、場合によっては死に至ることもある。
誰しも好き好んでケガをするわけではない。
問題はどう対処するか。
ほっとけば治るのか、
ほっといた方がいいのか、
自分で対処するのか、
病院に行くべきなのか。
身体のケガは自他共に認識しやすいし、ある程度治療の方法が示される。
学校や仕事を休む理由になるし、家族などのサポートを受けやすい。
しかし、精神のケガはどうだろうか。
今でこそ、メンタルケアやメンタルヘルスという言葉が当たり前となってきたが、まだまだ身近ではない。
心の傷は目に見えない。
病名がつき、明らかな症状が自他共に認識できるものもあるが、それは日常生活を送ることが困難な場合が多い。
家族を失った、恋人にフラれた、友人をなくした、信じていた人に裏切られた、大きな失敗の経験、孤独。
いわゆるトラウマ。
これらもまだ自他共に認識できる。
認識できるものにはある程度対処ができる。
それよりも、もっと軽い、と思われている、または自分でもそう思っている心のケガかやっかいだ。
むしろ誰も気がついていないケガ。
家族など近しい人、信頼する、せざるを得ない人からの言葉や態度による刷り込み。
目に見えず、言葉や態度を放つ方も放たれる方も気がついていない。
つまり認識していない。
しかも、良かれと思ってやっていることが多い。
だからやめない。
良いことをしていると思い込み、
相手もそう思っている。
これが無意識の刷り込み。
ボディブローのように浴びせられ、澱のようにたまっていく。
そして全く気がつかない。
はたから見ればわかることがある。
いわゆる、生まれ、育ち、環境のことだ。
親子がいる。
子供が何か書いている。
親は言う。
「こんな汚い字じゃ読めないよ。」
穏やかに。
子供ははにかむ。
きっと、何気ない一言だろう。
それどころか、
我が子を思い、良くなって欲しいと願っているだろう。
子供もそれを感じているだろう。
だから繰り返す。
繰り返し、傷をつける。
傷と思わずに。