子育て歯医者の日記

念願だった子育てが始まり、思うことを書き留めてみます。

メンタル

メンタルコンディションが、こんなにも生活に影響するとは思わなかった。

 

年齢を重ね、体力の衰えを感じると特に顕著である。

 

メンタルが弱い、とか、メンタルやられた、とか、体育会系であれば、気合いと根性でカバーする傾向にある。

 

実際に怪我をしても気合いと根性である。

 

今思い返せば、医学を志し、学んでいる学生が集まっていても、身体的な怪我、精神的な怪我、どちらにも、ツバつけときゃ治る、痛がること自体恥ずかしい、という風潮があったことは驚きである。

 

特にメンタル的なことは、口に出すことさえありえないという有様である。

今でも変わらないのではないか。

 

プロのスポーツ選手が、怪我をして気合いと根性と言うだろうか。

メンタルケアを口に出すことが恥ずかしいと思うだろうか。

 

一流の選手ほど、プライベートなコーチやトレーナー、ドクターを雇い、心身共にベストコンディションを保つ努力をしているだろう。

気合いと根性、などと口に出すことは三流はおろか、プロにはなれないだろう。

 

風邪を引けば内科に、打撲すれば整形外科に、虫歯になれば歯科にかかる。

同じように、心が傷つけばそれに対処するべく、手当やカウンセリングを受けることが普通だろう。

 

21世紀は心の時代と言われる。

もっとメンタルコンディションを整える重要性を意識しなければならない。

 

生きていれば必ず傷つく。

子供とともにその対処をしていきたい。

 

 

当たり前

数年前、ある知人男性が飲みの席で呟いた。

 

「子供の頃、将来の夢とか書いたよね。女子はよく、きれいなお嫁さんになりたい、とか書いてて、そんなの当たり前じゃん、つまんねーの、って思ってたけど、結構大変なことだと今はわかる。」

 

人が生まれ、男女が出会い、結婚し、子供を設け、家庭円満で過ごしていく。

 

そこにはいくつものハードルがあり、過ぎ去れば当たり前のようでも、決して簡単なことではない。

 

今は、心底それがわかる。

 

 

 

ケガ

人間、生きていれば大なり小なりケガをする。

数日で治るものもあれば、数ヶ月や数年かかるものもある。

後遺症が残ることもあるし、場合によっては死に至ることもある。

 

誰しも好き好んでケガをするわけではない。

問題はどう対処するか。

 

ほっとけば治るのか、

ほっといた方がいいのか、

自分で対処するのか、

病院に行くべきなのか。 

 

身体のケガは自他共に認識しやすいし、ある程度治療の方法が示される。

学校や仕事を休む理由になるし、家族などのサポートを受けやすい。

 

しかし、精神のケガはどうだろうか。

 

今でこそ、メンタルケアやメンタルヘルスという言葉が当たり前となってきたが、まだまだ身近ではない。

心の傷は目に見えない。

病名がつき、明らかな症状が自他共に認識できるものもあるが、それは日常生活を送ることが困難な場合が多い。

 

家族を失った、恋人にフラれた、友人をなくした、信じていた人に裏切られた、大きな失敗の経験、孤独。

いわゆるトラウマ。

 

これらもまだ自他共に認識できる。

認識できるものにはある程度対処ができる。

 

それよりも、もっと軽い、と思われている、または自分でもそう思っている心のケガかやっかいだ。

むしろ誰も気がついていないケガ。

 

家族など近しい人、信頼する、せざるを得ない人からの言葉や態度による刷り込み。

 

目に見えず、言葉や態度を放つ方も放たれる方も気がついていない。

つまり認識していない。

 

しかも、良かれと思ってやっていることが多い。

だからやめない。

良いことをしていると思い込み、

相手もそう思っている。

 

これが無意識の刷り込み。

 

ボディブローのように浴びせられ、澱のようにたまっていく。

そして全く気がつかない。

 

はたから見ればわかることがある。

いわゆる、生まれ、育ち、環境のことだ。

 

親子がいる。

子供が何か書いている。

親は言う。

「こんな汚い字じゃ読めないよ。」

穏やかに。

子供ははにかむ。

 

きっと、何気ない一言だろう。

それどころか、

我が子を思い、良くなって欲しいと願っているだろう。

子供もそれを感じているだろう。

 

だから繰り返す。

繰り返し、傷をつける。

傷と思わずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

育児と仕事の両立

家庭を顧みず仕事に打ち込んで成功を収め、

豊かさを手に入れる。

結果として家庭が豊かになり、幸せになる。

 

という妄想に終わりを告げる。

 

家庭をないがしろにして得られるものなど価値はない。

 

と、思うようになった。

 

仕事の時間以外は家族との時間が全て。 

ウキウキワクワク大興奮、というよりは、

やさしい穏やかな時間が流れる。

 

家庭も仕事も夫婦で営む。

それができることはとてもありがたいと思う。

同士というか、戦友。

 

 

 

 

 

お宮参り

結婚式を挙げた神社でお宮参り。

こどもの日でも人が少なくて滞りなく進行。

 

本人は覚えてないとしても、

自分達が式を挙げたことを思い出し、

再び節目にお参りすることができてよかった。

 

 

初孫

両親に初孫を抱かせることができた。

遅ればせながら。

 

こんなに嬉しそうな両親の顔を見たのは本当に久しぶりだ。

 

自分も孫の顔を見てみたい。

あと30年後くらいか。

 

望んで望んで生まれた子。

自分か嬉しいのは当然として、

それよりも両親が喜ぶ顔を見ることができて、それがとても重要なことと思う。

 

 

 

 

 

無意識

無意識にやってしまうこと。

考えること、行動すること、

反応すること。

 

無意識の海は深い。

太陽の光が届かない、深海のようだ。

 

自分で把握する事が難しいのに、

無意識が人生の大部分を支配する。

 

無意識はいつ作られるのか。

まずは親および教育者の影響。

子供にとって親の存在は絶対的。

 

親の表情、態度、言葉、行動などあらゆる情報をすくい取る。

その善し悪しなど判断できるはずもなく。

 

子は親の鏡。

親の何の気なしに発した一言が、

子供に深く大きな楔となって打ち込まれていることがある。

そしてそのことに親子ともども気づいていない。 

 

タチが悪いのは、親はその一言を発したこと覚えていないことが多い。

無意識に発しているからだ。

 

子供はその何気ない、どうでもいいような感想にもならないような一言に縛られている。

しかも何度もその言葉を反芻する。

そしてそのことに自覚がない。

無意識にやっているからだ。

 

親の、子供への言葉や態度の責任は重い。

そのひとつひとつが、子供の無意識を、人生のかたちを決める。